霞ヶ城公園(二本松城)

20130613_3117898972D0470DD福島県二本松市城郭内
二本松城は、室町時代奥州探題畠山氏が居を構え、地名を二本松としたところから始まる。畠山家7代目当主二本松満康がそこに二本松城を築いた。現状の石垣と平城となったのは、丹羽家が城主となってからである。

戊辰戦争のとき、二本松藩は奥羽列藩同盟により、官軍と戦った。城内には女性、子ども、高齢者のみという中、砲術師範木村銃太郎率いる砲術隊少年25名が箕輪門の攻防戦に参加。壮絶な戦士を遂げた。12歳から17歳で編成された少年隊は総勢62名。その中で、この砲術隊25名の少年たちの活躍がいまも語られて続けている。しかし、会津藩の白虎隊ほど、福島県内でも知られることがなく、これまであまり知られない悲劇だった。
霞ヶ城公園となっている二本松城城内には、この少年隊を描いた彫像が慰霊をこめて建立されている。まだ幼さの残る子どもを戦場へ向かわせる母が急ぎの戦闘服を仕立てて、夜なべしている姿も同じ場所に置かれている。
会津ほど知られていないが、中通りでは白河藩、二本松藩が激戦を経験し、浜通りでは磐城平藩も仙台藩からの応援隊と共に多くの死者を出す激戦を経験している。


霞ヶ城(二本松城)

霞ヶ城(二本松城)

二本松少年隊

二本松少年隊

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