福島文化自慢

(有)木紅木(きくもく)

福島県いわき市好間町上好間字大畑100  0246-36-5016 木紅木ストーリー 『農の未来に大地の恵みを本物と健康を伝承する新農業時代の応援企業』 を理念に掲げ、針葉樹木酢液の「木紅木キクノール」は、製材業を営んみながら端材のチップを有効できないかというところから端を発し、23年前に産声を上げました。

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(有)とまとランドいわき

〒979-0214 福島県いわき市四倉町長友字深町30 ℡0246-66-8630 東京事務所 〒103-0009 東京都中央区日本橋浜町2-10-1日伸ビル7F ℡03-3662-3088 いわきビジネス復興協議会 http://www.sunshinetomato.co.jp/ 専務取締役 元木寛さん 私は原発避難地域に指定された大熊町の出身です。JRの電気関連事業の部門にいたのですが、12年前から妻の実家である、とまとランドの経営に関わるようになりました。震災で、両親のいた大熊町の実家は避難地域に指定され、いわきに避難し、母はいまはとまとランドの仕事についてもらっています。父は弓道の指導者で、いわきにきて近くの高校で弓道部の指導に当たっています。 一時帰宅だけで、大熊町には戻れない状況が続いていて、これから先戻れるかどうかも微妙な状況です。いわきで妻の実家の仕事をしていることで、両親とともにいられる生活になっているのは、いま考えれば幸いでした。

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農業法人菌床椎茸組合

〒972-8331 福島県いわき市渡辺町泉田字花立67-1 ℡0246-56-0141 東京事務所 〒103-0009 東京都中央区日本橋浜町2-10-1日伸ビル7F ℡03-3662-3088 いわきビジネス復興協議会 http://www.goldshiitake.org/ 林野庁の補助を受け、地域の雇用を守ろうとスタートした組合なんですね。9か月で400万円の利益を出す優良施設に育ちました。増設計画もその段階で金融機関を含め、まとまっていました。ところが震災で全部ゼロになってしまったんですね。3月14日に出荷自粛が始まって、生産、出荷が止まりました。しかし、ここに雇用した若い人たちの暮らしがあります。それを守らなくては…という思いで、風評被害に負けない取り組みを始めました。いわゆる産業6次化への挑戦です。椎茸をつかった加工商品の開発とそれを創造する夢を広げよう。お金は後からついてくる。そんな思いでした。だから、震災後休まないで稼働し続けました。それが復興に向けてこんなにがんばっている施設はないと評価されて、平成24年の3月には工場の増設が実現したのです。それでまた、66名の新しい雇用を生み出すことができました。

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霞ヶ城公園(二本松城)

福島県二本松市城郭内 二本松城は、室町時代奥州探題畠山氏が居を構え、地名を二本松としたところから始まる。畠山家7代目当主二本松満康がそこに二本松城を築いた。現状の石垣と平城となったのは、丹羽家が城主となってからである。

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(有)佐久間商店

〒969-1761福島県伊達郡国見町大字 ℡024-585-2153(Fax) http://www.sabamisoni.com/ 親の代まで食料品店をやっていたのですが、私が店をやるようになってから鮮魚店を始めました。地元のみなさんには、魚屋さんとして知られていましたね。でも、お魚を買って、家庭で料理するということがだんだん少なくなって、その変化に合わせて、さば味噌や味玉子、にしん味噌やにしんのサンショウ漬けといった惣菜を扱うようになったんです。

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(株)高橋製麺

〒962-0821 福島県須賀川市桜岡24 ℡0248-75-6494  http://www.takahashiseimen.com/ 高橋良夫さん 創業は明治初期になります。この須賀川一帯の地域は小麦畑が広がっていたんです。それに川がたくさんあった。小麦粉を原料にした麺づくりには最適な場所だったんです。昭和初期には約50軒の製麺所があったのです。 震災のときは、建物は破損し、保管してあった麺は総崩れの状態です。麺が崩れて歩くのもできない状態で、3メートル歩くのに半日かかるという状態でした。従業員中にも自宅が全壊や半壊の被害を受けた人が出ました。水がこないですから再開もできません。ひと月は片付けや修復だけでした。 再開できる状態になったら、原発事故による風評被害です。震災の被害以上にこれがひどかったです。原発事故の被害はじわじわと広がって、いまでも売上はダウンしたままです。

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菓子処 まつもと

〒964-0911 福島県二本松市亀谷2-220 ℡0243-22-0935  http://www.matsumotoya.info/ 松本和三さん 創業は江戸時代末。私で5代目になります。東京のミッドタウンの裏手にある赤坂では有名な和菓子屋青野で修行して、そのあと、他の店でも働いて、実家の家業を継いだ形です。 二本松は震災そのものの被害はそう大きくなかったんです。ですが、スーパーやコンビニに商品がないという状態が続きました。当時は、和菓子屋ですが、地域の人たちのためにパンをつくって出していました。幸い10日くらいで普段の営業に戻れました。しかし、風評被害で、まず直面したのは、福島の人たちが福島のものを食べないという事態です。

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Patisserie La 4区

福島県伊達郡国見町藤田字北63-1 斉藤ビル1-B TEL:024-563-1972 東京に大学で進学し、就職したのですが、どうしてもパティシエになりたくて、アルバイトで貯めたお金で菓子の専門学校に入り、そこからカフェ形式の店の菓子作りで修行しました。震災前に、仕事の面でも生活の面でもいろいろな区切りがついて、ここで国見町に帰らなかったら、もう帰ることはないかもしれない。そう思ったんです。それで国見町に帰って、福島市内の菓子店で働いていました。

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FM会津

②沿革及び震災後の状況 エフエム会津は1996年に全国44番目のコミュニティ局として開局。会津地域の情報発信源として「防災」「福祉」そして「地域振興」を柱に放送しています。

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